孫育てのよろこびと戸惑い――祖父母だからこそ味わえる、かけがえのない時間

孫育ての基本

小さな手がくれた、暮らしのリズムと心の灯り

―祖父母としての育児に寄り添う日々―

夕暮れの玄関先、オレンジ色の光に包まれたあの日。 「ばあば、またね!」と小さな手を振る孫の姿が、今も私の胸に優しく残っています。

その日は突然、娘から「急なんだけど、少しだけお願いできる?」と連絡がありました。久しぶりに赤ちゃんを抱いた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚に包まれました。1歳の孫・こっちゃんは最初こそ不安そうでしたが、膝の上で絵本をめくるうちに、少しずつ表情がほぐれ、笑顔がこぼれるようになりました。

お昼に作った小さなおにぎりを「おいしい!」と頬張る姿に、心の奥がじんわりと温かくなり、「この時間を大切にしたい」と思ったのです。

その日を境に、私の暮らしは静かに変化していきました。朝の静けさの中に孫の笑い声が混ざり、台所で煮物を作る手元がどこか優しくなった気がします。孫の存在が、私の生活に新しいリズムと彩りをもたらしてくれました。

「ばあばの日」がくれる、穏やかな習慣と心のゆとり

それ以来、週に一度の「ばあばの日」が我が家の習慣になりました。公園のベンチでおやつを食べながら、7歳の孫・きーちゃんが

孫娘
孫娘

クローバーって幸せの葉っぱなんだよ!

と教えてくれた笑顔は、今でも忘れられません。

祖父母としての育児は、親とは違う立場。体力や距離感の難しさもあります。私は「できるときに、できることを」というスタンスを大切にしています。たとえば、午前中だけのお迎えや、体調がすぐれない日は素直に伝えるなど、自分のペースを守るようにしています。

「ばあば、今日はお迎え来てくれる?」と聞かれたとき、無理せず「今日はちょっと難しいかも」と言えるようになったのは、私自身の成長かもしれません。無理をしないことで、笑顔でいられる時間が増え、孫との関係もより穏やかで温かいものになりました。

時代の変化に戸惑いながらも、受け入れる柔軟さ

育児の常識が変わっていることに驚く場面も多々あります。風邪気味の孫にジュースを出すとき、私は常温にして渡しましたが、娘から「冷たいままでも大丈夫だよ」と言われて驚いたことも。紙おむつの進化や、温められるおしりふき、赤ちゃんを支える便利グッズなど、昔にはなかった育児アイテムの数々に、時代の流れを感じます。

「こんなのあったらいいのになあ」と思っていたあの頃の私に、教えてあげたいものばかりです。やっと寝かしつけた赤ちゃんを抱きしめて背中をトントンしてくれる機械なんて、夢のようです。

泣いている孫を見て「こうした方がいいのになあ」と思うこともありますが、娘のやり方を尊重し、口を出さずに見守るようにしています。友人が「今は“見守り隊”に徹してる」と笑っていた言葉に、私も救われました。

時には、娘から「ばあば、ありがとう」と言われるだけで、心がふわっと軽くなります。育児の主役は親であり、祖父母はそのサポート役。その立ち位置を理解することで、関係がより良いものになると感じています。

孫との時間がくれる、かけがえのない宝物

孫の成長を間近で感じられることは、何よりの喜びです。最近では、折り紙やあやとり、わらべうたを一緒に楽しむ時間が増えました。

孫娘
孫娘

むかーし、ばあばの所に行ったときも折り紙で風船をつくってくれたね!

と、小さかったのによく覚えてくれていました。

きーちゃんが折ったキリンを「ばあばにあげる!」と渡してくれたとき、家族の絵に私が描かれていたとき――その瞬間の温もりは、何にも代えがたい宝物です。

週末にはクッキー作りが恒例になり、チョコペンで顔を描いたり、「パパにあげる!」と嬉しそうにラッピングする姿に、心がほぐれていきます。

また、こっちゃんが

こっちゃん
こっちゃん

ばあば、いっしょにおふろはいろう!

と、誘ってくれた夜、湯船の中で歌を歌いながら笑い合った時間は、まるで魔法のようでした。小さな手が私の手をぎゅっと握るだけで、疲れがすっと消えていくような気がします。

「してあげる」ではなく「一緒に楽しむ」ことを大切に

孫育てが順調なときほど、「やってあげている」という気持ちにならないよう気をつけています。ついつい、自分にいろんなことが回ってきて疲れてしまうと、恩着せがましくなりがちです。

自分の時間を使っているというより、「一緒に過ごせることへの感謝」を忘れないようにしています。疲れた日は「今日はちょっと休ませてね」と素直に伝えることで、心に余裕が生まれ、笑顔で接することができます。

先日も、少し無理をしてると思いながらもついついがんばりすぎて、ぎっくり腰になりました。結局数日、痛い思いもして手伝いも出来ずに落ち込みました。自分の体は自分で守らないといけないと痛感した出来事でした。

昔の育児を語るときも、「でも今はこういう考え方もあるのね」と添えることで、娘や息子への敬意を込めるようにしています。

そして、孫たちが「ばあば、ありがとう」と言ってくれるその一言が、何よりのご褒美です。言葉にしなくても、ふとした仕草や笑顔に、愛情が込められているのを感じる瞬間が、私の心を満たしてくれます。

小さな手が導いてくれる、心の再発見

孫との時間は、ただの「お世話」ではありません。むしろ、私自身が「育て直されている」ような感覚になることがあります。たとえば、こっちゃんが転んで泣いたとき、「痛かったね」とそっと抱きしめるだけで、安心して涙が止まる。その瞬間、私の中にも優しさが満ちていくのを感じるのです。

子育ての頃は、忙しさや責任感に追われて、こうした小さな感情に気づく余裕がなかったかもしれません。今は、孫の表情ひとつ、言葉ひとつに、心が揺れ、癒される。そんな豊かな時間が、私の人生に新しい意味を与えてくれています。

「ばあばって、なんでも知ってるね!」の魔法

ある日、きーちゃんが「ばあばって、なんでも知ってるね!」と言ってくれました。たった一言なのに、胸がいっぱいになりました。昔ながらの遊びや季節の行事、折り紙の折り方、歌の歌詞――私が自然に伝えていたことが、孫にとっては「知恵の宝箱」のように映っていたのです。

その言葉をきっかけに、私は昔の遊びや歌をもっと調べてみるようになりました。わらべうたの意味や、地域ごとの遊び方の違いなど、調べるほどに奥深く、面白い。孫と一緒に歌いながら、「これはね、ばあばが子どものころに歌ってたんだよ」と話すと、目を輝かせて聞いてくれます。

伝えることは、つながること。祖父母だからこそできる「文化の橋渡し」があるのだと、改めて感じています。

「ありがとう」の重みと、沈黙の中の愛情

孫育てをしていると、言葉にならない愛情を感じる瞬間がたくさんあります。たとえば、こっちゃんが私の膝にそっと座ってきたとき。何も言わず、ただ寄り添ってくれるだけで、「ばあばが好き」と伝えてくれているような気がします。

娘から「ありがとう」と言われるときも、心がふわっと軽くなります。その一言に、信頼と感謝が込められているのがわかるからです。育児の主役は親であり、祖父母はそのサポート役。その立ち位置を理解し、尊重することで、家族の関係はより穏やかで温かくなっていきます。

自分をいたわることも、孫への愛のかたち

最近、私は「自分を大切にすることも、孫への愛情のひとつ」だと気づきました。無理をして笑顔を作るより、元気なときに心から笑える方が、孫にとっても嬉しいはずです。

ぎっくり腰になったとき、数日間動けずに落ち込みました。でもその経験が、「休むことも必要」「頼ることも大切」と教えてくれました。それ以来、体調がすぐれない日は素直に「今日はお休みさせてね」と伝えるようにしています。

孫育ては、体力だけでなく心の余裕も必要です。だからこそ、自分のペースを守りながら、無理なく続けていくことが大切なのだと思います。

孫がくれる「今ここ」の幸せ

孫と過ごす時間は、未来のためでも過去の思い出でもなく、「今この瞬間」の幸せです。おやつを一緒に食べる時間、絵本を読む時間、手をつないで歩く時間――どれも特別で、かけがえのないものです。

最近では、2歳のこっちゃんが「ばあば、だいすき!」と突然言ってくれることがあります。その言葉に、どれだけ救われているか。どんなに疲れていても、その一言で心が満たされ、また頑張ろうと思えるのです。

終章に向かう日々の中で、育まれる絆

孫育ては、私にとって“人生の第二章”であり、もしかすると“第三章”かもしれません。子育てが終わったと思っていたのに、再び小さな手に触れ、笑顔に癒される日々が訪れるとは思ってもいませんでした。

朝、9か月の孫・とっくんが手を伸ばしてくれる瞬間は、小さくても私のことを覚えていてくれて、抱っこするだけなのに、なんともうれしい朝の始まりを感じ、思い出してはあたたかな気持ちになれるのです。

これから孫育てが始まる方へ、私はこう伝えたいです。

「無理せず、比べず、自分のペースで。小さな手がくれる幸せは、きっとあなたの心にも届きます。」

最近、こっちゃんが「最高~!」とつぶやいて笑わせてくれますが、私にとっては「あなたが最高!」と心から思うのです。

孫がつないでくれる温もりは、想像以上に深く、確かに心に残る贈り物。子育ての頃には気づけなかった小さな幸せを、今、しみじみと味わえること――それが私にとって、何よりの宝物です。

貴女にもたくさんの幸せが届きますように!

 

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